クラス名 |
説明 |
■クララ■ |
クララは フランスのアシジというところで生まれました。
お母様は 善良で 信心深い方でしたので クララも幼い頃から 信心深く育てられました。特に マリア様が大好きで ロザリオの祈りをよく致しました。また 貧しい人に対しては 同情心が強く 孤児たちを見ると 自分の大切にしているおもちゃを与えるなど 優しい心の人でした。
18歳の時、聖フランシスコと出会い シスター(修道女)になることを勧められ 世の救いのために キリストとともに苦しみを分かちながら 貧しく、清く生きようと 聖フランシスコと その兄弟たちのいる修道院へと行き 『 クララシスター 』になりました。
ここに 聖 クララ会が誕生しました。こうしてクララは院長になって 病弱でありながらも 自ら 食事、給仕、洗濯などして 他のシスターたちにとって 優しいお母様でした。42年間サンダミアの修道院で 修道女たちのよい手本となって 59歳で天国ヘ召されました。
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■テレジア■ |
テレジアは 北フランスのマラソンに マルタン家の 11人の子供の末っ子に生まれました。両親は 正直で信心深い人で 子供たちに良いしつけがなされていましたので テレジアは 神からも人からも愛されていました。5歳の時 母親を失い 主に父マルタンの手で育てられました。15歳の時 3人の姉のあとを迫って リジューのカルメン会に入会しました。テレジアは幼児のように 神さまを信頼し、『 私は ごく小さいことしか神さまにお捧げすることが出来ません。』と言いながら 小さな犠牲(嫌なこと、つらいこと)を愛の心で行いました。『 小さい花 』となって 神さまを喜ばせ 人々の魂を救いたいと 罪人の回心の為 宣教者のために いつも祈っていました。テレジアは 今でも天国から取り次ぎによって 多くの罪人を回心させ 病気を治し 人々を天国へ導いておられます。1987年9月30日24歳で 天国ヘ召されました。 |
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■ペトロ■ |
ペトロは イエスの弟子の中で あわてものでしたが 熱血的・情熱的な人で 弟子達のリーダーでもありました。彼は ガリラヤで漁師をしていた時 イエスが通りかかり 『 魚ではなく 人をすなどる者にしよう 』と約束されました。彼は 結婚していて アンドレアという弟がいましたが アンドレアも漁師で弟子になりました。ペトロは はじめシモンと呼ばれていましたが イエスさまから 『 岩 』という意味の 『 ペトロ 』という名前を与えられ 天の国の鍵を授けられました。
ペトロは時々 あわてて失敗したり 最後には イエスさまを裏切り 『 イエスを知らない 』と3回も言ってしまいましたが 復活されたイエスさまに弟子として 最初に出会い キリストを信じる信者の群れを牧するように命じられました。
第一代の教皇さまとして33年間つとめましたが ネロ皇帝の迫害により殉教しました。お墓は ローマのバチカン大聖堂の中にあります。
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■ヨハネ■ |
ヨハネは、イエスさまと一番親しい弟子の一人です。弟子のペトロ、ヤコブと一緒に、イエスさまの栄光(ひかり輝く姿)をみることが出来ました。ゲッセマニのイエスさまの苦しみを逃げずに立ち会う程、イエスを心から尊敬し、愛した心強い弟子でした。イエスは、十字架上から母マリアに『そこに
あなたの息子がいます。』と言われ、愛する弟子に『そこに あなたの母がいます。』 と言われました。
そしてヨハネは、母マリアを自分の家に引き取りました。
イエスのことを人々に伝えるために、イエスの死後 ヨハネ福音書を書きました。また、小アジアの信者を勇気づけるために、有名な黙示録も書き、100年頃 95才でアジアのエフェゾで永眠しました。
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■ボルジア■ |
メール・ボルジアは、1877年に、フランスから最初に派遣された4人のシスターの1人です。神戸に始まり大阪、長崎、岡山、京都、熊本と修道院が設置されました。
メール・ボルジアは、福祉活動を行う中で、女子教育の必要性を痛感され、直ちにそれを実行に移し熊本信愛女学院の母体が1900年に創立されました。
27歳で来日し83歳で熊本の地に骨を埋められるまで、一度も祖国フランスに帰らず、文字通り生涯を日本の教育と福祉のために尽くし、あらゆる困難を一つひとつ乗り越えながら、キリストの愛を熊本の人々に力強く温かい母の心で伝えられました。
その心は、先人達に絶えることなく受け継がれて今日の熊本信愛女学院があります。メール・ボルジアは忘れることの出来ない尊敬すべき恩人です。 |
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アンチエ
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ショファイユの幼きイエズス修道会は、レーヌ・アンティエによって1859年フランスで創立されました。
レーヌ・アンティエは、1801年11月19日に5人兄弟の末っ子として誕生されました。生来豊かな天分に恵まれていたレーヌは、活発で独創性に富んだ茶目っ気たっぷりの明るい子どもでした。幼少期のレーヌの喜びは、「多くの人々に神を知らせ、神を愛するようになること」でした。レーヌは、幼きイエズス教育会の学校で学び、その後1823年にシスターとして教育活動に専念されました。1859年9月14日当時の教会の勧めを嘆願に応えレーヌ・アンティエはショファイユの幼きイエズス修道会として公認された修道会の総長に選出されました。1877年プティジャン司教の要請に応えて4名のフランス人シスターを日本に派遣しました。ここ熊本には1900年に学校教育・福祉活動が始まりました。 |